ほぼほぼ「まぐれ」で転職できたのですが、3か月の試用期間満了をもって退職することにしました。
というか、試用期間満了の2週間前に現場への異動を言い渡されたので、実質「クビ」だったのだと思います。
私が入社を果たしたのが、建築会社。
たまたま私が建設の許可業務をやっていたので、それが有利に働いたのかもしれません。
求人広告には、建築資材輸入の新規事業と書かれていましたので、営業的展開に期待し入社したのですが配属されたのはなんと総務部。
新規事業で各地を駆けまわることを想定して、iPadやノートPCなどのモバイルツールを買いそろえていただけに、なにげにショックでした。
2歳年上の男性総務部長と2人の若い女性に囲まれ、ただただ座っているだけの、なんとも居心地の悪い雰囲気にガクゼンとしました。
さすがに1週間もすると退屈で耐えきれず、とうとう「なにか私にできることがありませんか?」と総務部長に直訴する始末。
すると総務部長は「慌てなくて、じっくり会社全体のことを掌握してほしい」と言ったきり。
やむなく「ある程度の総務的な改革を果たしていけば、新規事業に移行できる」との期待を込めて、業務改革の提案策定を進めていたのでした。
試用期間は暇との戦い
「会社全体のことを掌握してほしい」ということだったので、あり余る時間を活用しながら、社内の会議資料などを読み漁っていきました。
そこで浮かび上がってきたのが「成長痛」にもがいている会社の実像。
数十人もいる会社で就業規則すらなく、ましてや総務部長がそれを放置している状態でした。
総務部長いわく、就業規則を作成するには、何か月もかかる大仕事なのだそう。
「だから君を採用したんだよ」的な物言いがあったので、すぐさま就業規則のドラフトを作成したものの、1か月も2か月もそのまま放置状態。
「こりゃダメだ!」
そこで改革案を策定し、総務部長のメンツを立てながら上層部に少しずつ具申していく画策をしましたが、案の定総務部長に警戒されるところとなりました。
この手の失敗は、私の性格によるところも大きかったのですが、試用期間中にある程度結果を出しておかねばならないといった私自身の「焦り」も関係しています。
なんといっても、もう57歳ですので。
そうかといって総務部長におもねり、波風立てずに試用期間をやり過ごしたとしても「力不足」の烙印を押されてしまうのが関の山。
というか、それ以前にただただ机に座っていることが耐え難い苦痛に感じていたのでした。
個人事業主と従業員の働き方の違い
私の犯した最大のミスは、個人事業主でのノリでサラリーマンの世界に乗り込んでしまったこと。
個人事業主は、納品してなんぼの世界。
就業規則のドラフトが、なんで数か月もの時間を要すると見積もっているのかが不思議に思えて仕方がありませんでした。
確かに、社内で揉むのに時間がかかるのはわかりますが、まずは就業規則のドラフトがなければどうにもならないわけであって、なぜそれすらできていないのかが全く理解できませんでした。
上層部は、そういった時代錯誤なスピード感にメスを入れたがっていたようで、そのために私を必要としていたのかもしれません。
ただ私の方が、力不足でした。
「郷に入っては郷に従え」が完全に抜け落ちていました。
たとえば、いきなりフルスロットルするのではなしに、6掛け程度のスピードで安全走行すべきだったし、残り4割のパワーを社内接待に割くとか、そういった社内ネゴ的な配慮が必要だったのかもしれません。
「なんだか昭和の空気が依然として漂っているよなぁ〜」
そういった意味で、期待に沿えずとても残念でした。
上司としての資質
どこの世界にも、人に仕事を割り振れない不器用な人っているもの。
そうした不器用でも、一人である程度仕事をこなしてしまう人なら、なおさら厄介。
でも、一人でできる仕事というのは、限られてきますよね。
そういう人を上司に持ったら、運が悪いとあきらめざるを得ません。
部下の立場として、まだ若いうちなら従順にしておけばいいのでしょうけど、私の場合は即戦力として採用されましたので、結果を残さねばなりません。
そもそも入社当初から「焦らなくていい」などと甘い言葉をかけられ続けましたけど、なぜ「焦らなくていい」のか、その意味するところがさっぱりわかりませんでした。
おそらく「みんなでゆっくり仲良くやりましょう」的な表面上の優しさなのでしょうが「お為ごかし」にしか思えませんでした。
ただ私の方にも問題点があって「そもそも自分が従業員であるという自覚を欠いていたのではないのか」今にしてそのような感慨を抱いています。
前職は、経営者とじかに切り盛りしていた期間が長かったもので、ヘンな癖がついていたのかもしれません。
上司の嫉妬について
ある日、総務部長が外出している時に、社長から急ぎの文章作成を任されました。
翌日、その成果につき高く評価をいただいたのですが、なんとそれに上司がおかんむり。
いつものおおらかに見せていた態度は一変、文章の出来が悪いのなんのと、くどくどと言いがかりをつけられました。
「ああ、やっぱり嫉妬だったんだな」そう思えた瞬間でした。
今でも「能ある鷹は爪を隠す」スタンスで生きていかねばならないのでしょうか?
そうでない社会であることを祈りたいところです。
まだ存在していた昭和の人
私も昭和の人間ですが、まだ「お追従笑い」が残存していることに驚きでした。
まあ「おっさん」が自慢話しをてしまうのは、しかたがないこと。
そんななか、20代・30代の若い女性が引きつった笑顔で相槌を打っている光景…。
今の若い人でもそうしてるんだ…。
「おっさん側も、迷惑であることに気づかなきゃダメだよ!」
毎日に及ぶその淀んだ空気感がたまらなく嫌でした。
試用期間満了にて退職
私のあずかり知らぬところでしたが、私が入社したと同時に総務から横滑りで現場へ異動させられた人がいたそうな。
やけに私に突っかかってくる人がいたので、どういう訳かと思っていたら、その人が移動させられた人みたいで「なんだか面倒くさくなってきたなぁ」とは思っていました。
おそらくその人は、捲土重来とばかりに巻き返しを図っていたのでしょう。
今度は、代わりとして私が現場に行く羽目になりました。
それが試用期間満了の2週間前。
私としても、もうその頃はクラウドソーシングという働き方を見つけ、会社生活に見切りをつけていた頃だったので、それほどショックには感じませんでした。
私の側としても、試用期間だったわけなので。
形式上の引き止めはありましたが、いずれにしろ嫌気がさしていたので、翌日には退職届を提出しました。
まとめ
上司との相性の問題、こればっかりはどうしようもないですね。
若かりし頃は、順応していけばいいだけなのでそれですみましたが、さすがに50を過ぎるとなると、そういう訳にはいきません。
サラリーマンを20年経験したとはいえど、自営業も15年、しっかり自営業のケセが染みついてしまっています。
入社して1か月過ぎるころから、もうキツイなという感じはしていました。
それでも試用期間の3か月、失業保険に関係する半年、1年、2年を見据えて頑張ろうとしましたが、最後の現場行き通告で心が折れました。
ただそうした格闘のあいだに、クラウドソーシングという、もう一つの働き方を見つけました。
それは、私にとって大きな収穫でした。
今は、専業でライターをやっています。