サラリーマン生活
販促物を扱う広告会社の購買業務からスタートし、包装資材の専門商社と印刷業界で営業をしていました。
危険物を取り扱う工場に勤務しながら大学を卒業していますので、通算20年以上に及ぶサラリーマン生活で4度の転職を経験しています。
さまざまの業種と職種を経験したいとの願望が強かったのが、その理由です。
4度のチャレンジで行政書士試験に合格
40歳を前にして、軽い「うつ」にかかりました。
「自分はこれまで生きてきて、いったい何がしたかったのだろうか?」と。
これまで封印してきた「青春の青臭さ」みたいなものが消化しきれずに、その残滓が発酵しきってしまい、膨満感で身動きがとれなくなってしまっていたのです。
現状の苦しみからどう抜け出すべきかと悩み、さりとて商才のない自分にとって何ができるのだろうかと煩悶の日々が続きました。英語はからきしダメだし、職業訓練校に申し込もうにも時期を逃すし・・・。
つまり、現状から抜け出すためには何でもよかったわけです。そこで目にしたのは「独学で国家資格に合格できる」なんて記事。
そこからでしたね、苦難の始まりは。
行政書士試験の合格まで4年もかかってしまいましたが「試験に落ちるたびに味わった無念さ」が会社を辞めたがっている自分を押しとどめてくれたので、それはそれで結果的には良かったのではないかと思っています。
行政書士事務所開業
まぁ、動機が動機でしたので、合格が決まった途端会社を退職し、そのまま開業してしまいました!
43歳での脱サラ起業。
あまりにも無謀だったので、その分軌道に乗るまでは苦労しました。
それでも、建設業許可業務中心に14年間経営を続けました。
二足のわらじ(ニット製造販売会社のWebサイト作成等)
行政書士事務所開業と同時に、行政書士業務とは直接関係のないお客様のお手伝いもしていました。
実用新案を有するオリジナルのニット製品を製造販売する会社で、Webサイト作成や企画書作成などの営業面をサポートしていました。
15年にわたるサポートの後、経営者がご高齢となりましたので、事業承継を経て役割を全うしました。
3足のわらじ?(日中合弁事業立ち上げに参画)
ニット製造販売会社の経営者様から「日中合弁事業の立ち上げに協力してほしい」とのお誘いをいただき、すぐさま快諾。
当然ながら多忙になることは予想されましたので、行政書士関連のお客様にご迷惑がかからぬよう、仲間の行政書士に移管を依頼。
行政書士以外の事業に集中することにしました。
日本の化粧品や健康食品を中国に輸出したり、OEM生産をしたりするといった事業でした。
経理から貿易実務、メーカーとの折衝など国内での経営実務全般にわたりました。
合弁事業のお手伝いは、2015年の立ち上げから7年間にわたりました。
コロナの影響による苦境から2年は持ちこたえましたが、最終的には事業縮小を余儀なくされ、とうとうお役御免となりました。
4度目の再就職
無事に役割終えて安堵したものの、よくよく考えてみたら無職に…。
「さあ、どうしよう?」
さっそく人生4回目の求職活動を始めました。
過去に3度の転職を経験していますので、あまり焦りというものはありませんでしたけど、よくよく考えてみたら57歳、還暦手前ですよ!
今回ばかりは、過去3度の轍を踏まぬよう「職務経歴書」を丹念に作り上げ、転職エージェント数社に登録し、おまけにハローワークにも出向いて求職活動を行いました。
準備万端整えたものの、書類選考で落とされる度に自信を失なっていきました。
最後は「拾ってくれるところならどこでもいい」と藁にもすがる気持ちでなんとか就職することができました。
試用期間満了で退職
やっぱり自営業をしていたので、どうしても自由な空気が恋しくなってしまうものですね。
3か月間、規則正しい生活に慣れてはきたのですけど、やっぱりキツかったことは確かです。
意に反しての総務部配属でしたし、それより何より社内にずっと居続けなければならないのが辛かった!
社内での居場所を見出せないまま、ちょうど配置転換の話が持ち上がりましたので、試用期間満了をもって退社することを決意しました。
Webライターとしての第一歩を踏み出しました!
求職活動が辛くなり、どうしたものかと苦心していた時に「クラウドソーシング」という働き方があることを初めて知り、それが脳裏にずっと残っていました。
なので、退職が決まったら即座に「クラウドソーシングでいこう!」と決意。
先立つもの……。
それをどうするかで躊躇したりもしましたが、人生は一度きり。
自らのやりたいことで生計を立てていくのがベストと考え、今に至ります。